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本の読み方(拘り?)について教えてください。

本の読み方(拘り?)について教えてください。
特に海外の作品や古典ですが、私は登場する場所や物を実際に見て触って体験する事が本を読む絶対条件では無いものの、「かなり」重要だと考えます。
例えば「御簾」や「剣」が出てきた時に、実際に見たことが無くても本は読めますが、それらを見て触る事でより深く体感する事ができるからです。また、文章中で「何故このような表現になったのか」という問いに答えが得られるからです。
友人とこの事について話した時に「作品のみをただ深く読み続ける事」について話されました。解説、出展、成立背景、成立年代に拘らず、ひたすらテキストのみを深く読み、考える、という読み方です。友人は登場するモノや世界について実際に触れる事は否定はしないものの「さほど」重要では無いと考えています。
この二つの意見について、みなさんの考えるところを教えてください。

勿論、この二つの意見はどちらも間違いではないと私は考えています。
友人は「実際に触れる事で安易に納得する事が、物語の本質を読む事の弊害になる可能性がある」という危険性を指摘し、私は「物語の本質【著者の表現したい事】を理解する事と実際に体験する事は別問題である」と考えます。

投稿日時 - 2006-11-24 04:02:58

QNo.2558701

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回答(3)

ANo.3

私がよく読むのは、フィクション、特にSF関係です
当然内容は、架空の設定、場所は精神世界、宇宙空間、異世界、別次元、過去、未来等、出てくる物は異生命体、人工知性、サイバネック、サイボーグ、アンドロイド、宇宙船、人工天体、等々
完全な想像世界です、近未来物でも地名が現存する場合でもニュアンスが違いますし、一つの作品世界としてイメージして読んでいます
作品のイメージをより上げるためには、現存する地域、場所(シベリア、南極、グランドキャニオン、砂漠、草原、宇宙空間、深海底、古代遺跡等々)の写真なり映像を見ていれば類推でイメージは広げられます
また、天文学、物理学、量子力学、大脳生理学、ロボット工学等々ダイジェストでも識っていれば、作品の理解度、浸透度が変わってきます
私にとっては、直接ではありませんが、色んな事を知る、見る、聞く事がより作品を楽しく読むことが出来、読む事により新しい物への扉が開かれる事もあるとゆう感じになります

投稿日時 - 2006-11-24 16:03:06

お礼

ありがとう御座います。
確かに、議論している途中にSFの話題はでました。
未来の物や日常に存在しないものをどうやって実体験すればいいのか、という話になったのですが、そういう意味ではSFこと「ひたすらにテキストを読んで想像を膨らませる」作品に相応しいのかも、と思います。

ちなみに私はSFあんまり読みません。
アシモフと小松左京と星新一をちょろっと読んだくらいです。

投稿日時 - 2006-11-24 17:30:22

 たしかに人によって本の読み方はいろいろでしょうし、そのいずれも間違いではないと思います。
 ただ、わたしの場合はやはり文字を読むに際しては映像化したいといった気持ちがありますから、「場所や物を実際に見て触って体験する事が本を読む絶対条件では無いものの、かなり重要だと考える」方です。
 たとえば「御簾」や「剣」についての記述を読むと、どうしてもそのものを見たくなりますし、気に入った外国物読むとどうしてもその舞台となった場所に立ってみたくなります。

 香炉峰の雪は御簾をかかげて見る・・・・という文章に触れると、御簾ををどのようにして巻き上げていたのか、そしてその人の風俗身なりは、そのときの気候や温度はなどと。また、剣と聞くと、どのような姿でどのぐらい大きく重いのか、それによって剣を持つ者の動作や活躍の姿が違ってきますから。

 幸いにも今日では映画やテレビドラマなどから得た光景をある程度頭に記憶していますし、博物館なども見る機会がありますから、なにか本を読んでもかなり光景は頭の中で映像化できます。
 映画と原作、「読んでから見るか、見てから読むか」といった言葉がありますが、わたしはどちらかというと見てから読むほう。これですともう結末は分かってしまっていますが、一行読むたびにその光景が頭に浮かぶのがとても楽しく思えます。

投稿日時 - 2006-11-24 11:52:45

お礼

ありがとう御座います。
私の場合「行って見ないとわからないものがあるんじゃないか」と思っちゃうわけです。これは「わからないと読めないか」というとそんな事はないです。

他にも、登場する単語についても同じです。
原文の「すさまじ」が、どの程度の状況ではじめて「すさまじ」という単語が使われるのか、という理解が「かなり」重要だと思うのです。
つまり現代語訳、日本語訳を疑う、という考え方なのかも知れません。
ここに拘るとやはり原文忠実主義になり、訳など読めなくなります。海外の作品になるとチンプンカンプンです。

「魔女」と「魔法使い」から想定されるイメージを比べた場合、私の場合「女の魔法使いの事を魔女という」程度の認識しかありませんが、解説等を読むと「witch「 wizard」「sorcerer」「magician」等々色々な単語があり、それぞれ固有のイメージはがあるような気がしてならないのです。
日本語にした段階で、ある程度本来の意味を失っていると思うんですね。(言語が違うのだから当たり前ですが)ですから、その差分を埋めるために「解説」を読むのが必要ではないかと、、、

なんだか書いててよくわからなくなりましたが。

投稿日時 - 2006-11-24 12:51:13

ANo.1

本を読んで興味を持って、実際に触れてみたいと感じれば行けばいいのではないのですか?
その本の解説書でも書くのであれば裏づけも必要かもしれませんが、そうでないのならば「さほど重要ではない」です。

投稿日時 - 2006-11-24 10:44:30

お礼

ありがとう御座います。
私の場合「裏付け」というのとは少し違うのですが、確かに少し厳密な知識を必要としている行為だと思います。

日本の古典のように「一般的な世界観が現在と比べ乖離がある世界」の場合は、そこに当たり前に書いてある事柄を理解するまでに自分の理解だけで可能だろうか?という疑問があるからです。

これは海外文学でも同じ事が言えます。
外国の人が考えて感じ、表現した事を、日本人の私が同じように理解する事が可能だろうか?と不安になるからです。
だから(そこに行けない以上)解説を読むという行為が重要な要素になると思うのですが、やはりそういう意見は一般的ではないのでしょうか。。。

投稿日時 - 2006-11-24 11:05:36

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