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和訳 困っています><

SOCIAL LABELLING
Dyson(1980) interviewed a large number of people about their experiences of retirement, and challenged the idea that people see it as a fair exchange. Dyson's respondents saw it as fair for old people in general, but not in their own personal cases.

They felt that, for the most part, sosiety had thrown them on the junk heap too early, when they were still perfectly capable of making an active and useful contribution to society. But they did think it was probably fair for other old people, and for old people in general.

Dyson's research gave some interesting hints about the emergence of a new perspective on ageing, which developed during the 1980s. This view sees the lower visibility of older people in society as a product of old people are very strong-even though most of us are personally acquainted with individuals who don't fit those stereotypes at all. But it is very difficult for an individual to berak through the social stereotyping and be regarded as an intelligent person with something useful to contribute, because too often they are seen as someone who is old, and therefore useless. Or they think this is how they will be seen, and so they don't bother trying.

投稿日時 - 2011-06-15 18:20:42

QNo.6811728

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

☆ 補足に掲載された部分の和訳です。本文には無理やり訳した部分がありますから、適当に調整して下さい。

「この見解は、社会で老人が目立たなくなることを、社会的なラベル付けの結果であると見なしています。
我々は、年齢(高齢者)差別の社会に住んでいます、たとえまったくそれらの固定観念に合わない高齢者を我々のほとんどが個人的に知っているとしても ― 高齢者に対する固定観念は、非常に強いのです。」

投稿日時 - 2011-06-16 00:48:53

お礼

ご返答ありがとうございます^^!
今で大体半分くらい進みました!後半もよろしくお願いします><

投稿日時 - 2011-06-16 12:15:37

ANo.3

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回答(3)

ANo.2

社会的なラベル付け
ダイスン(1980)は、引退の彼らの経験について多数の人々を取材して、人々がそれを公平な交換とみなすという考えに疑問を呈しました。
ダイスンの回答者は、それを大方の高齢者にとっては公平だとみなしましたが、彼ら自身の個人的な事例ではそう見なしてはいませんでした。

彼らは、ほとんどの場合、まだ活発で役に立つ社会貢献をすることが完全にできるときに、社会があまりに早くゴミの堆積の上に彼らを放り投げたと感じました。
しかし、他の高齢者にとっては、そして、大方の高齢者にとっては多分公平なのだろうと、彼らは思いました。

ダイスンの研究は、1980年代の間に発達した、老化についての新しい見方の出現に関していくつかの面白い手がかりを提供しました。
この見解は、- たとえまったくそれらの固定観念に合わない個人を我々のほとんどが個人的に知っているとしても - 高齢者の生み出されるものとしての社会における老人の低い可視性を非常に強く見ています。
しかし、個人が社会的ステレオタイプ化を突破して、貢献するために役に立つ何かをもつ知的な人と見なされることは、非常に困難です、と言うのは、あまりにしばしば年をとっていて、したがって役に立たない人と彼らがみなされるからです。
または、彼らはこう言う風に自分たちは見られるのだと思い、それ故、彼らは試みさえしないのです。

☆ 第3パラグラフ、第2文、
This view sees the lower visibility of older people in society as a product of old people are very strong-even though most of us are personally acquainted with individuals who don't fit those stereotypes at all.
は、どこか写し間違いはないでしょうか?文法的に、しっくりしないように思います。一度チェックして、補足してもらえば、注意しています。

投稿日時 - 2011-06-15 20:20:32

補足

お待たせいたしました、完全に段落の見間違えでした。
申し訳ございません><

This view sees the lower visibility of older people in society as a product of 「social labelling. We live in an ageist society, in which stereotypes 」of old people are very strong-even though most of us are personally acquainted with individuals who don't fit those stereotypes at all.

「」の部分省いてしまっていました、申し訳ないです><

投稿日時 - 2011-06-15 23:35:55

社会的なラベル
ダイソン(1980)は、彼らの引退の経験に関して多くの人々にインタビューして、人々がそれを公正な交換であるとみなすという考えに挑戦しました。 ダイソンの応答者は、高齢者には、一般に、それが公正であるとみなしましたが、それら自身の個人的な場合でみなしたというわけではありません。

彼らは、だいたいsosietyがあまりに早くぽんこつにそれらを投げたと感じました。(その時、それらは社会へのアクティブで役に立つ貢献をするのがまだ完全にできていました)。 しかし、彼らは、他の高齢者、および高齢者には、それがたぶん一般に公正であると思いました。

ダイソンの研究は1980年代の間、展開した年をとるときの新しい見解の出現に関していくつかのおもしろいヒントを与えました。 高齢者の製品がまさしくそのである、この視点が社会で、より年取った人々の下側の視度を見る、強さ、-、私たちの大部分は個人的にそれらのステレオタイプに全く合わない個人と面識があります。 しかし、個人には、それはberakに社会的に枠にはめることで非常に難しいです、そして、貢献するために使い物をもっている知的な人と見なされてください、それらが年取って、したがってだれか役に立たない人とあまりにも頻繁に考えられるので。 または、彼らは、これがそれらが見られるので、彼らがどうわざわざ試みないかということであると思います。

投稿日時 - 2011-06-15 18:46:28

お礼

ありがとうございます^^

投稿日時 - 2011-06-15 23:49:31